むかしむかし、まだ人と妖(あやかし)の境があいまいだったころのお話――
遠い東の果て、深い山々と濃い霧に包まれた場所に、「幻想郷(げんそうきょう)」と呼ばれる不思議な地がありました。
そこは、外の世界では忘れられてしまったものたちが流れ着く場所。
この地では、時おり「異変」と呼ばれる不思議な出来事が起こります。
空が紅く染まったり、春が来なかったり、
夜が終わらなくなったりと、常識では考えられぬことばかり。
ある雨の夜、ひとりの人間が、あっけなく命を落としました。
理由は単純、ほんの一瞬の不運と、ほんの少しの油断。
静かに、世界からこぼれ落ちたのです。
……けれど、それで終わりではありませんでした。
気がつけば、彼は、見知らぬ森の中、密かにたたずむ神社の敷地に立っていました。
濃い霧、湿った土の匂い、どこか懐かしくて、それでいて異様な静けさ。
自分の体に触れた瞬間、違和感が走ります。
鼓動はなく、体温もない。
それでも確かに「存在している」という、奇妙な実感だけがありました。
――人ではない。
「ねぇ、なんでこんな所に妖怪がいるの?」
赤と白の装束に身を包み、どこか気だるげで、けれど鋭い目をした少女。
彼女は少しだけこちらを見つめると、ため息をひとつ。
「……あんた、弱すぎ。放っておいたらすぐ消えるわね」
そう言って、まるで落とし物でも拾うかのように、軽く手を差し伸べました。
気がつけば、そこは神社の縁側。
差し出されたお茶からは湯気が立ちのぼり、遠くでは風鈴が鳴っています。
「しばらくここにいなさい。変なことしなければ、祓わないから」
それは救いなのか、ただの気まぐれなのか。
けれど、行き場のない存在にとって、それは十分すぎるほどの‘居場所’でした。
こうして――
死んで妖怪になった名もなき存在と、
ぐうたらで、でもどこか放っておけない巫女の、奇妙な同棲生活が始まります。
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